ロシア諜報事件によるスパイ事件が示す日本の課題
- 1月20日
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更新日:4 日前
執筆:稲村 悠
2026年1月20日、ロシア機関員によるスパイ事件が明るみになった。
報道によれば、在日ロシア通商代表部元職員は、工作機械メーカーの元社員から新商品に関する技術上のアイデアなどの情報を不正に入手した疑いがあるとして書類送検された。
相次ぐロシア機関員によるスパイ事件ーー日本はどう対応すべきか。
本稿では、ロシア機関員によるスパイ事件の実態と、本件が突き付けた課題、そしてスパイ防止を巡る議論について論じる。
■日本におけるロシア諜報機関の主体と役割分担
ロシアが日本で展開する諜報活動の担い手は、主に3つの情報機関である。
第一に、ロシア対外情報庁(SVR)であり、政治・経済・科学技術など広範な対外情報収集を担う。特に、ラインXと称されるチームは科学技術情報の収集を担っており、2020年に立件されたソフトバンク事件も、在日ロシア通商代表部の代表代理(当時)でありながら、ラインXのメンバーであったアントン・カリニンによるスパイ事件であった。今回の事件も同様に、ラインXの機関員によるスパイ事件と報じられている。
第二に、ロシア連邦軍参謀本部情報総局(GRU)で、軍事・防衛分野の情報収集等の対日工作に特化する。
第三に、ロシア連邦保安庁(FSB)で、これは本来、国内治安機関であるが、一部の要員が対日工作に関与することもある。
これら情報機関の機関員は、その多くが在日ロシア大使館員や在日ロシア通商代表部員といった外交官身分で入国し、対日諜報網を築いている。
■日本国内における活動形態
ロシア機関員の多くは、オフィシャル・カバーとして外交官や通商代表部員の肩書で駐在している。外交特権による不逮捕特権を享受しつつ、情報収集活動に従事する形である。他方、ノン・オフィシャル・カバーとして民間人や企業人を装うケースもある。
ロシア機関員は、ジャーナリスト、コンサルタント、研究者などの民間職業に偽装することがある。実際の例として、2004年に幕張メッセで開催された電気機器展示会では、「イタリア人コンサルタント」を自称する男(サベリエフ)が、ある日本人社員に接近した。彼は「日本進出にあたり力を貸してほしい」などと持ち掛けて急速に親密度を高め、その後1年あまりの間に10数回もの会食や打合せを重ねて信頼関係を築いた。
また、今回の事件ではロシア機関員が「ウクライナ人に偽装した」という。
2022年のウクライナ侵攻以降、対ロシア感情が悪化し、ロシア側は従来の諜報活動の見直しを迫られた。その影響は日本でも表れており、ウクライナ侵攻後には、ロシアによる諜報活動が停滞していた。そこで、本件では、ロシア機関員がロシア人であることを伏せ、ウクライナ人を偽装することで、日本人がウクライナ情勢を案ずる心情を逆手に取った偽装であったと思われる。
今後も同種の偽装工作が継続されると想定される。
■狙われやすい分野
ロシア機関員は、それぞれの情報要求に基づき、各種情報を収集する。
令和7年版警察白書では、『令和4年6月、プーチン大統領は、ロシア対外情報庁(SVR)本部においてスピーチを行い、ウクライナ侵略に伴う欧米の制裁強化を踏まえ、「産業・技術分野の発展と防衛力の強化を支援することが優先すべき任務だ」と述べ、外国での情報収集活動を活発化するよう指示している』とし、技術情報の収集が優先されることを示唆している。
典型的には先端技術や先端科学分野であり、具体例として量子技術、人工知能(AI)、半導体、光学機器、宇宙開発、通信インフラ(5G)などが挙げられる。実際、過去の事件を見ると、ロシア側が日本企業から窃取を図った機密には、最先端の通信技術や電子部品が含まれる。
そうした機微分野の情報を入手するため、ロシア側はターゲットとなる日本人を協力者に仕立て上げる巧妙なリクルート手法を用いる。
■日本人協力者獲得の手口
ロシア機関員は、道案内などで接触、会食へつなげ、公開情報の交換から最終的に機微情報と金銭的見返りの交換へ至る。この過程では、日本人に「教えを請う」姿勢で自尊心を満たすアプローチが多用される。
最初に公開情報の交換から始めるのは、公開済みの公知情報であれば対象者も警戒せずに応じやすく、安心感を抱かせることができるためである。ロシア機関員は、そうしてハードルの低い依頼を重ねつつ、接待や些細な謝礼を渡し、対象者を情報提供に慣れさせていく。
同時にロシア機関員は対象者に対し、「君の情報提供は非常に役に立っている」「あなたのお陰で助かっている」といった評価の言葉を掛け、承認欲求を巧みに刺激する。これにより対象者は、「自分はこの人物(ロシア機関員)にとって必要不可欠な存在だ」という錯覚を抱き、さらなる協力に前向きになっていく。
そして関係を深める中で要求はエスカレートし、本格的な機密情報の提供へと誘導される。その際には、1回あたり十万円前後から、時にそれ以上の高額な謝礼が支払われ、対象者は金銭的・精神的にロシア機関員へ依存する状態に陥っていく。
この段階で「危険だ」とロシア機関員の要求を断ろうものなら、「今までの恩義は忘れたのか」などと、つまり金を受け取っているだろうという脅迫も混在させ、巧みに日本人をコントロールしていく。
これらの長期的プロセスを経て一度「エージェント化」された人物は、ロシア側にとって貴重な協力者となり、定期的な情報提供源として運営され続ける。
その間、機関員は対象者への配慮を怠らない。情報の重要度に応じて謝礼額を変えたり、定期的に高級店でもてなして動機付けを強化し、忠誠心を維持させる。こうしてターゲットは自らの行為の重大性に目を背けたまま深みに嵌り、ロシア諜報機関の手駒と化していくのである。
上記は典型的な手法ではあるが、日本人側からすれば「あれよあれよという間に、知らないうちに絡め取られる」「いつの間にか共犯関係に」という感覚に近いだろう。
■ロシア機関員に見られる行動特性
ロシア機関員は、メールや電話などログが残る通信を極力避け、一方通行型の秘密連絡を徹底する傾向がある。初回接触時に次回以降の日時・場所を設定し、予定日にロシア機関員が待ち合わせ場所に現れなければ「接触をスキップする」方式が徹底されている。これは捜査機関の気配を察知した際にスキップが行われるのである。
そして、公衆電話や対面伝達のみで連絡を済ませ、傍受を回避し、追跡を極力困難にする工夫が見られる。
これらのコミュニケーション手段はロシア機関員の典型的な特徴であり、当該手段に接した際は注意すべきであると即座に認識すべきである。
■狙われる「人の脆弱性」
「エージェント化」された人物には、金銭的動機や不満など、「MICE」+「LDSS」といった「MICELDS」の動機が存在することが通常である。
まず、「MICE」とは、ターゲットをリクルートする際の動機を分類したモデルで、ターゲットが持つ「弱点」を示す。「MICE」は次の各要素の頭文字を取ったものである。
① 金銭(Money)
② 思想・信条(Ideology)
③ 名声や信用の危機(Compromise)
④ 承認欲求(Ego)
このフレームワークは、冷戦期をはじめとする長年の実務経験や事例研究からまとめ上げられた経験則に基づくモデルである。
また、筆者は「LDSS」の要素を追加した「MICELDS」モデルを提唱している。「LDSS」の内訳は、家族愛・自己愛などの「Love」、人生や組織への不満である「Disgruntlement」、ストレスである「Stress」、秘密の共有・理解である「Secret」の要素を指す。
この「MICELDS」は、ターゲットをリクルートする段階と運営期の2つのフェーズで使われる。リクルート段階では、ターゲットが持つ「MICELDS」にアプローチし、強い動機を与える。運営期では「MICELDS」に継続的に作用することによって、安定的にターゲットを動かしていくのだ。
しかしながら、結局は「いつの間にかマズい関係になっている」というのが、ロシア機関員によるスパイ活動の実態である。
■気を付けるべき日本人の特性
国内のロシアスパイ事件を見ると、前述の「MICELDS」に加え、日本人の「親切心」や「知的好奇心」を巧みに利用するリクルートが確認される。
後者は、特に研究者や技術者に見られる傾向である。自身の知見を共有して意見を求めたり、より良い知識を得るべく同分野の情報に関心を持つ人物(ロシア機関員)に、逆に関心を持つ。
結局、これらアプローチを組み合わせつつ、ロシアの典型的なリクルート手法に対する日本人側の防諜リテラシーが欠如することにより、リクルートされていくという構図である。
■スパイ防止を巡る議論と本件の整合性
本件を受け、真っ先に思い浮かべるのがスパイ防止法だろう。日本にはスパイ防止法がないのでスパイ天国だとも揶揄されている。
そのスパイ防止法を巡り、よく言われるのが「重罰」の必要性だ。
重罰には抑止効果が期待できる。ロシア機関員に協力すれば重罰に処されるという抑止効果は、日本人エージェントには一定程度効果をもたらすかもしれない。
ただし、外交特権を持つロシア機関員に対しては、重罰は(協力者への抑止という効果を除けば)実効性に乏しい。仮に死刑・無期懲役を定めたとしても、実際にその刑に服するのは、エージェント化した日本人が主となるだろう。現に、重罰を規定する欧米においても、ロシア機関員の影響下で活動した協力者が摘発され続けている。
さらに、摘発に成功したとしても、外交特権を持つロシア機関員本人には及ばない。結果として、当該機関員は手土産を携えたまま出国するだろう。
ポイントは「未然防止」にある。
つまり外国に通報する目的を持って「探知・収集行為」(=探す行為)を構成要件に含めることで、捜査機関としては情報が実際に流出する前に検挙できる可能性が高まる。
実際、日本には特定秘密保護法や不正競争防止法、自衛隊法など情報保全に関する法がある。例えば、特定秘密保護法などでは、”外国の利益を図る目的”で不正に情報を取得した場合、罰するよう規定されている。ただし、探知・収集行為は構成要件となっていないため、ロシア機関員が機密情報を探す段階では検挙できない(MDA秘密保護法を除く)。
こうした行為を立件できるようになれば、検挙されるのは日本人エージェントになるが、情報の流出を未然に防止できる可能性が高まる。
ただし、探知・収集行為をどう定義するかの難しさが残るうえ、その探知・収集行為をどう捜査するかが重要となってくる。
■スパイ防止を巡る重要な論点
諜報事件では、捜査における証拠確保が困難であることは想像に難くない。
そもそも徹底的に日本当局を警戒するロシア機関員らに対し、機密情報の受け渡しを証拠として確保するのは極めて困難である。
また、前述した探知・収集行為を構成要件に加えたとしても、捜査機関がそれ自体をキャッチして証拠化するのも至難の業であろう。
そこで、執行権の拡充が要求される。
仮装身分捜査の対象犯罪拡大や行政通信傍受の整備によって効果的にロシア機関員のスパイ活動を把握し、「スパイ活動をすればバレる」という認識を機関員側に持たせる必要がある。
ただし、真に重要な論点は上記に留まらない。
そもそも防諜の概念は、以下の通りとなる。
・阻止(秘密保全、人的・物理的保全)
・探知(発見、特定、解明)
・欺罔(ブラックプロパガンダ等)
・無力化(敵対諜報組織の排除、スパイの摘発)
例えば「探知」という概念では、相手を発見・特定し、その活動を解明することで、「阻止」を行う(無効化する)ほか、スパイの摘発=「無力化」自体にもつなげられる重要な活動だ。また「探知」することで、欧米や台湾のように、自国の防諜能力を暴露せずに相手の活動を分析し、レポート等で公開するなどの「相手の暴露」にも繋がる重要な防諜活動の一つなのである。
この「探知」は警察だけではなく、公安調査庁や自衛隊も大きく貢献している。
つまり、スパイ摘発は防諜のごく一部を形成するのみであり、スパイ対策という意味では、他にも検討すべき事項が多くあるということである。
■本件が示した課題
本件が示す「未だにロシアスパイ事件の典型手法で“やられた”」という事実は、個人の防諜リテラシー不足、企業側の教育および情報保全の不備さえ示唆する。
そもそも、防諜はスパイ摘発に加え、防諜リテラシーの向上や情報保全が一体となって行われなければならないことを痛感させたのである。
今回述べたロシア諜報活動の実態と本事件を直視し、国家・組織・個人が一丸となってカウンターインテリジェンス体制を強化していくことが肝要なのである。
最後に、日本を守り、防諜の一翼を担う本件捜査員各位に敬意を表する。


